1000分の1秒で科学実験を記録、AIが再現失敗の原因を探る
実験過程を1,000分の1秒単位で記録AIに学習させ、成否を分ける要因を探る

暗黙知(tacit knowledge)とは、学習や経験を通じて個人に身についているものの、言葉や文章などの一定の形式では表現しにくい知識を指す。
暗黙知の対義語は形式知(explicit knowledge)で、文書やマニュアルのように一定の形式を備え、外部に表出することで多くの人が共有できる知識を指す。
人間のさまざまな活動分野で、暗黙知は結果の成否を分ける重要な役割を果たしている。多くの料理人が同じレシピで料理を作っても、味に違いが出ることがその一例だ。
料理の味の微妙な違いが料理人の評判を左右することはあっても、調理過程で働く暗黙知がもたらす影響は、科学実験の場合ほど深刻ではないだろう。
科学実験の結果は、再現可能性によって裏付けられる。しかし、数多くの科学実験の結果が再現されず、信頼性を疑問視されている。
こうした場合、元の実験を行った研究者が、実験結果を改ざんしたと非難されることさえある。
しかし実際には、意図的な改ざんが一切なくても、再現に失敗するケースは少なくない。なぜだろうか。
科学実験は再現によって裏付けられるが…
米国のある新興企業は、暗黙知が関係している可能性があると考え、人工知能(AI)を使って暗黙知を見つけ出す実験を行っていると、米ニューヨーク・タイムズ(NYT)が27日(現地時間)報じた。
ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学など世界有数の大学がある米マサチューセッツ州ケンブリッジの研究室では、科学者たちが危険な化学物質を扱う実験台で、細胞を培養する実験を行っている。
科学者たちは全員、小型カメラを取り付けたヘッドバンドを着けて作業し、実験台の上にも3台のカメラが設置されている。
科学者たちは、自分が何をしているのかを小声で口にし、マイクに向かって何かをつぶやいていた。研究室の一角では、チームが集まって実験映像を確認していた。
科学実験の一瞬一瞬を1,000分の1秒単位まで捉えるよう設計されたセンサーとソフトウェアのシステムを使い、科学者が使用するあらゆる物体と一つ一つの動作をAIが認識できるよう学習させている様子だ。
AIは実験過程を極めて詳細に記録した。数秒に一度、映像の内容を説明し、「作業者がピペットでペレットを10回上下させ、再懸濁する」といった具合だ。
この技術は、ベンチャー企業トランスファイア(Transfyr)が開発した。
科学実験の失敗にはさまざまな形がある。
研究者が数カ月かけて改変した細胞株を準備しても、原因が分からないまま細胞株が死滅することがある。政府の認可を受けた新型コロナウイルス検査が、ある研究室では機能しているように見えても、別の研究室ではウイルスを検出できないこともある。
有望な新薬を開発した企業が、大量生産のために製造法を別の場所へ移管したものの、移管先ではうまくいかないケースもある。
一方、実験を安定して成功させ、周囲を感嘆させる科学者もいる。科学者たちは、こうした能力を持つ研究者を「魔法の手」と呼ぶ。
不可解な「魔法の手」
科学を「魔法」になぞらえるとは、何とも戸惑いを覚える褒め言葉だ。
科学者は実験過程を論文に詳細に記録する。他の研究者はその情報を使って実験を繰り返すが、実験の成功に決定的に重要な知識が記録されていないこともしばしばある。
見習い料理人と同じように、科学者も何年もの訓練を受けながら専門家の仕事を間近で学び、質問し、自ら手順を試してみる。
実験を成功させるには、1日のうちに何千もの細かな判断を下さなければならないこともある。試験管を振る必要がある場合、振とう台の上で振動させ続けるのか、それとも手で前後に軽くはじくのか。
1960年代、ハンガリーの化学者・哲学者マイケル・ポランニー氏は、こうした謎めいた専門知識に「暗黙知」という名を与えた。
しかし、暗黙知が研究に不可欠な要素であることは、科学の進歩を遅らせる要因にもなっている。
科学実験が再現できない原因の一つが、暗黙知だからだ。
再現研究が元の研究と同じ結果にならない場合、元の研究が誤っていた可能性がある。一方で、元の研究は正しかったものの、再現を試みた科学者が知らず知らずのうちにミスを犯していた可能性もある。
1993年、心理学者フランシス・ラウシャー氏は、モーツァルトの音楽を聴いた人が推論能力のテストで一時的な向上を示すと報告した。いわゆる「モーツァルト効果」である。
多くの研究者は有意な効果をまったく確認できなかった。しかしラウシャー氏は、再現に失敗したのは科学者らの実験技術が十分ではなかったためだとして一蹴した。
こうした対立を背景に、一部の科学者は暗黙知を伝える方法を模索し始めた。2006年、生物学者モシェ・プリツカー氏は、科学者が複雑な実験を行う様子を収めた動画を掲載する学術誌JoVE(ジョーヴ)を創刊した。
また2014年には、生物学者レニー・テイテルマン氏が、科学者が自らの実験手順を共有し、それについて意見を交わせる場を設けた。
研究者が「魔法の手」を持つ熟練科学者を手本に学べるウェブサイト「プロトコルズ・ドット・アイオー(Protocols.io)」もある。
これに加え、トランスファイアは、実験室で起きていることに関する膨大なデータを、映像や音声、実験機器のセンサー記録という形で取り込むシステムを構築している。同社は消耗品の供給元まで追跡し、手袋の箱のロット番号まで記録する。手袋から発生する特定の気体が、実験結果に影響を及ぼす可能性もあるためだ。同社のシステムでは、作業の一瞬一瞬を振り返りながら、研究者が無意識のうちに行っていた通常とは異なる行動が何だったのかをAIに尋ねることができる。
トランスファイアは診断企業など複数の顧客を獲得しており、今週、初期資金として2,500万ドル(約39億9,000万円)を調達した。
